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東京大学の中村でございます。たくさんの方にお集まりいただきましてありがとうございます。恐らく多くの方は期待と不安を持ちながらこの場にお集まりいただいていると思います。これからこのプロジェクトの責任者として、私たちがどういうところを目指そうとしているのか、また現在の医学はどういう形で進んでいるのかという事をご説明します。また、私たちがプロジェクトを進めるにあたって個人情報の保護に対してどういう配慮をしているのかについてご説明するとともに、私個人が遺伝子差別という問題に関してどのように考えているか、という点についてもお話させていただきたいと思います。
このプロジェクトは先ほどから紹介がありましたように文部科学省のリーディング・プロジェクトとして始まりました。「個人の遺伝情報に応じた医療の実現プロジェクト」がその正式な名称ですが、私たちの目指すところを的確に表す言葉として、「オーダーメイド医療実現化プロジェクト」というプロジェクト名を用いております。このプロジェクトの目指すところは、これからお話いたしますが、時間があれば後日プロジェクトのホームページをご覧いただきたいと思います。本日はその要点をご紹介いたします。
小山総長からお話がありましたように、未だに原因がわかってない疾患はたくさんあります。根本的な治療法がなく、患者さんにとってはその病名を宣告された日から、自分が死ぬことだけを考えるというような非常に重い疾患もあります。このプロジェクトのゴールの一つはそのような病気も含め、複雑な病気の原因を解明して薬を開発する手がかりとなるような情報を提供することです。
今や薬の開発や病気の診断は、病気の根本原因(科学的エビデンス)に根ざしてピンポイントで薬を開発していく、あるいはピンポイントで診断していくという時代になりつつあります。そのような基盤となるような情報を提供していきたいというのが私の一つの願いであります。
もう一点は、のちほど詳細にご説明いたしますが、薬が効く場合、効かない場合、強く副作用が出る場合など、個人個人の薬に対する反応性はいったいどういうところに由来するのか。それを突き止めて、この薬を使えば効き、この薬を使えば絶対に副作用がないという医療体系を作り上げたいと願っております。
それからこれはもっと遠い先になると思いますが、病気になりやすいということがわかれば当然個人個人がいろいろな自分のライフスタイル、あるいは食生活などに気をつけて病気を防ぐことができるようになると考えています。日本の場合は先進国の中でも非常に高齢化が進んでいますので、ただ単に長生きするというのではなく、健康に長生きするという観点からも、病気を予防する、あるいは病気の重症化を防ぐということは重要です。私たちはそのような医療を展開するための基盤の研究資材、あるいは基盤の情報を集めたいと考えています。
このような研究をするようになった経緯の一つとして、ゲノム研究の進展というものがあります。日本ではこの言葉がなかなか社会には登場しませんでしたが、20年ぐらい前からアメリカではゲノム研究が重要視されておりました。ゲノムというのは生命の設計図に相当するもので、ヒトにはヒトの設計図、イヌにはイヌの設計図、ブタにはブタの設計図があり、それぞれのゲノムに応じてそれぞれの形が作られます。ヒトの場合24種類の染色体というパッケージになった形でゲノムを見ることができます。このゲノム情報の化学的な物質名がDNA、デオキシリボ核酸というものです。
私たちのゲノムはA、G、C、Tという四つの暗号文字だけでできています。この暗号文字が30億つながってわれわれのゲノム、生命の設計図を形作っております。この30億文字は配列に関してはほぼ全容が今年2003年の4月には明らかになっております。しかしながら、それでゲノムがすべてわかったのか、生命の設計図がすべて読み解かれたのかというとそうではありません。いろいろな形で社会に役立つ形に結び付けてゆくには、医療へ、あるいは生物学へと情報が利用されていく必要があるのです。病気の原因を解明する研究は、これまでの世界のゲノム研究の成果を実際の医療に役立てることにつながります。病気の原因を解明する上で一つの重要な情報となるのが、300万から1000万カ所個人個人間で違っている遺伝暗号です。30億の遺伝暗号から出来ている私たちのゲノムうち0.1から0.3%程度は個人間で違いがあり、この違いをスニップ(SNPs)と呼びますが、われわれが研究をしていく上で重要な手がかりとなっております。
日本では生物学をきっちりと教えないので、唐突にこういう話が出てくると難しいかもしれませんが、30億の遺伝暗号文字の中に3万箇所から4万個所ぐらい遺伝子という単位が存在しています。遺伝子は何をしているかというと、タンパク質という物質を作る情報を担っています。でんぷんを食べたときに分解するアミラーゼとか、ホルモンとか、私たちの体を作っている多くの物質がタンパク質なのですが、タンパク質を作る情報を持っているのが遺伝子という単位です。
一つの遺伝子から数種類のタンパク質が作られると考えられていて、体内全体では10万から20万種類のタンパク質があると考えられております。この遺伝子には、どんなタンパク質をいつ、どこで(たとえば肝臓や心臓)、どのくらいの量作るのか、という情報などが刻まれているのですが、このような情報に関してはまだまだわかっていない部分が多いのです。個人個人で遺伝暗号が違いますし、ストレスがかかったときに多様なストレス反応がおこるように、環境的な要因などによっても遺伝子の働きは違ってきます。つまり私たちが親から子へ受け継ぐ遺伝暗号の違いと、置かれているさまざまな環境によって、遺伝子が作り出すタンパク質の性質や量が違ってくるのです。このタンパク質の種類や量の違いが病気のおこりやすさにつながったり、持って生まれた体質の違いなどにつながってきます。
遺伝暗号が違うということは、環境要因を別にしてもいろいろな違いを生みます。遺伝子が違うと遺伝子によって作られるタンパク質も微妙に違ってきます。その微妙な違いが私たちの外見や、100%ではありませんが性格の違いなどの表現系にかかわっていますし、病気に対する罹りやすさ、薬の効きやすさ、あるいは副作用の出やすさなどの体質の原因になっているのです。
みなさん病院へ行って薬が合わないと、『ああ、あなたはアレルギー体質ですね』というような言われ方をしたことがあると思います。また、この薬は私に合う、あるいは合わないという経験をしたことがあると思います。それは、実は微妙な遺伝暗号の違い、あるいは置かれている環境によって起こる遺伝子の働きの違いによって引き起こされているのです。
遺伝暗号の違いによる影響について一つ感染症の例を示します。HIVというのはエイズの原因となるウィルスですが、実は遺伝暗号の違いによってエイズウィルスに感染しにくい人がいるということがすでに科学的に証明されています。エイズのウィルスが私たちのリンパ球という細胞の中に入るときにはCCR5という接着剤にくっついて入ってくるのですが、エイズにかかりにくい人がいるということを私の友人でもあるマイケル・ディーン博士が6年がかりで研究を進めた結果、結局エイズにかかりにくい人はこの接着剤がこわれているということを見つけました。
このように、ウィルスに感染する、感染しにくいというのもやはり遺伝暗号の違いが関係していますし、最近SARSがはやりましたが、SARSも遺伝暗号の違いがかかりやすさに関係しているのではないかという報告もすでに出ております。以上の例からも、病原体が体内に入ってくる、入ってこないだけではなくて、入った場合でもその個人個人の違いによって感染症を起したり起さなかったり、あるいは当然ながら重症度にも影響してくるということがお分かりいただけると思います。
このようなことがわかってまいりますと、実は薬の開発にもつながります。つまりエイズを例に取るとエイズウィルスがこの接着剤にくっつかなければウィルス感染症は起こらないわけですから、この接着剤にふたをするような薬を作ろうということで、現在すでに開発された薬が試されているところです。このようにウィルス感染症であっても原因がわかればそれに応じて新しい薬を作るということが可能になってくるのです。
薬の話を少し集中的にお話します。 みなさんすでにご存知だと思いますが、すべての人に同じ種類の同じ量の薬を服用してもらっても、全員に効き、副作用がないということはありません。薬を使った場合、有効なのは一部の患者さんであり、一部の患者さんにはとてつもなく強い副作用が出て、それが生命の危機をもたらすことがあります。
現実的に病院ではどうしているかというと、合わなかったら薬の種類を変える、あるいは量を変える、といった経験的な対応をしています。みんなにこの赤と黄色のカプセルを1カプセルずつ渡していればうまく合うのかというとそうではなくて、効かない場合は量を増やしたり減らしたりする、あるいは薬の種類を変えるという対応をとっています。しかし、対応策をとろうとしても、もうすでに取り返しがつかなくて命を落としてしまうという方もおられるわけです。このような不幸を医療の現場からなくしたい、それにはどうしたらいいのかという観点から、ゴールの一つとしてこのような副作用を避けることのできる医療体系を作りたいと考えております。
薬というとなかなか馴染み難いですが、お酒というものに置き換えるとみなさんすっと理解してもらえると思います。この会場におられる方にみんな同じだけお酒を飲ませると、きっとひっくり返る人が出てくると思います。平気な人、真っ赤になる人、吐いてしまう人、自分が何を言ってるのかわからなくなる人もいるでしょうし、泣き上戸の人もいるでしょうし、笑い上戸の人もいるでしょう。お酒が入ったときでもこのようにいろいろな反応があります。極端な場合には命を落とします。
今朝新聞を読んでおりましたら、ウォッカの飲み比べ大会をして、3.5リットル飲んだ人が急性アルコール中毒で亡くなったという記事がありました。べつにウォッカを3.5リットル飲まなくても、3.5ccでもドキドキして倒れる人もいるわけで、そういうものはやはり遺伝暗号の微妙な違いでアルコールを分解する力が変わってくるから起こる症状なのです。薬の場合も同じで、同じように薬をのんでいても薬を分解する力というのは個人個人みんな微妙に違うわけで、そういうものが副作用へと反映されて副作用が強く出る人もおられるわけです。
20世紀の医療は確かに進みましたが、今までお話したようにまだレディーメイド医療の枠を超えてはいません。いろんな薬が出来たけれども、あるパターンの診断がされると、服に例えるならSかMかL程度しかなくて、窮屈だったり、だぶだぶな人も出てくる。
それに対してオーダーメイド医療というのは、患者さん個人個人の病気の状態あるいは体質というものを科学的エビデンスにもとづいて正確に把握し、副作用がなく効果があるという、ひとりひとりにぴったりとした治療を提供していける医療だと考えておりまして、私たちは、このような研究を通して社会に貢献をしたいと考えております。
薬の副作用予測に関し、実際こういうことができるという一例をお示しします。これは腎臓の移植を受けたあとに免疫を押さえる薬を服用して心臓に強い副作用を起こされた人がどんな原因なのだろうかということを調べた結果です。
話が飛んで難しいかもしれませんが、あるXという遺伝子を調べると同じ場所にGとCという二つのタイプの遺伝暗号が見つかりました。GG型とGC型の患者さんでは28人のうち1人も心臓に副作用を示しませんでした。ところがCC型の患者さんは44人のうち10人が強い副作用を示しました。別のYという遺伝子を同様に調べてみると、CC型とCT型の患者さんでは30人中1人も副作用を示さなかったけれども、TT型の患者さんは42人中10人副作用を示していました。この二つの遺伝子の情報を組み合わせてみると、Xという遺伝子がCCタイプでYという遺伝子がTT型の人が30人、その他の人が42人いました。そしてみなさんご覧になって明らかなように、その他の42人は1人も副作用を示さなかったけれども、こちら側の赤で示した30人は3人に1人の割合で心臓への重い副作用を示したということがわかりました。まだ0対100の精度ではありませんけれども、明らかに遺伝暗号の違いが、ある薬に対する副作用を起こしやすくしているということがわかります。
これは免疫を押さえる薬ですから、免疫を抑えるということをまず大切にしなければいけませんが、そのために心臓がだめになって命を落とすということがあってはならないわけです。したがってこの薬を使った場合に、この遺伝子のタイプの人には心臓に注意を払いながら経過観察をしていくということで、副作用で患者さんが命を落とすということを防ぐことができます。
このような形で、遺伝子によって副作用が100%わかるわけではありませんけれども、遺伝子を突き詰めていくことによって少なくとも半分ぐらいの副作用は事前に予知して回避することが出来るようになると私たちは思っていまして、多くの患者さんに協力を求めてこういう問題を解決したいと考えております。
これは私がずっと解決したいと思っている薬の副作用の一つです。一見、火傷と思われるかもしれませんが、病名で言いますと皮膚粘膜眼症候群あるいは中毒性表皮壊死症という、薬の副作用によって皮膚が死んでいく病気です。スティーブンス・ジョンソン症候群とも呼ばれていますが、このような非常に激烈な副作用を起こす患者さんが、日本国内に年間300人ぐらいおられます。
どんな薬が原因かと言いますと、ここにありますように抗生物質、解熱剤、風邪薬といった、みなさんがよくのまれているような薬です。いわばありふれた薬がこのようなとんでもない副作用を起すリスクを持っているわけです。
今まで私たちはこのような状況を、『残念ですが、体質ですから仕方がありませんね』、ということで済ましてきたわけですが、これからは、『残念でした』、ではなくて、このような副作用を起こす原因を科学的に明らかにして、不幸を避ける方向にもっていきたいと考えています。これは患者さんの協力がなければ成しえないことで、私たちは患者さんの協力によって、こういう現状を乗り越えるような素地を作りたいと考えています。
病気に関して、少し話を変えます。
病気にかかりやすい、かかりにくいということに関して、先ほどエイズウィルスに対する感染を例に話をしましたが、私たちにはいろいろな遺伝的な違いがあります。また様々な環境要因の違いもあります。そのような複数の要因が重なって、その結果として遺伝子の働きに異常が生じ、われわれの体の調節が失われると、ここに書いてあるような、生活習慣病を主とする病気が発生します。
遺伝的な強さや弱さは、家と設計図にたとえることができます。私たちの家は設計図に基づいて造られます。それぞれの設計図に従って3軒の家ができたとします。そこに震度6の地震がきたとしましょう。同じ時期に同じような場所にできたのに、まったくびくともしない家もあるし、ガタガタになる家もあるし、ちょっと壊れる家もある。なぜこういうことが起こるのかというと、設計図にミスがあって家のどこかに強度の足りないところがあれば、同じ震度6でも隣の家はびくともしないのに、その家は部分的に壊れてしまうということがありうるわけです。設計図にキズが多いと壊れる箇所も多くなります。
病気も同じで、ゲノムという生命の設計図に刻まれた病気の起こりやすさと、ストレス、さまざまな環境要因との組み合わせで発症に至ります。同じストレスにさらされても、ある人は平気だけれども、それによって病気が発生する人もいます。体重が80キロに増えて肥満になったとき、ある人は平気だけれども、ある人は糖尿病になってしまうというのは、家の場合と同じように、私たちの体の強さ、どこまで耐えられるかということに、元々私たちが持っている生命の設計図の微妙な違いが関係してくるからだ、ということがわかりつつあります。
私たちはこのような遺伝暗号の違いとある病気の起こりやすさを比較しながら病気の原因を解明して、治療法のないものには根本的な治療薬を作るための情報を提供したいと考えております。
この図は将来像を示したものです。それぞれの方が、病院で受診なさる際に遺伝暗号の違いが入力されたカードを持っていく。そして医師は、診断に基づいて薬を処方しようとする時にこのカードを傍らのカードリーダーに入れ、処方しようとする薬の名前をコンピューターに入力すると、コンピューターがこの患者さんの情報と薬の情報を照らし合わせ、この患者さんには副作用が起こりやすいから量を減らしなさい、薬を変えなさいといった指示を出す、というような医療を作りたいと考えております。
それから抗がん剤に関して一つ。抗がん剤も進歩しているということをご紹介します。
この写真、実はこの真ん中にいるのが私です。大阪の市立堺市民病院で外科医をしていたときのものです。私は阪大の医学部を卒業してからまるまる四年間は外科医として働いていました。一年間は大阪府立病院の特殊救急部というところにおりましたし、半年間は小豆島にある内海病院というところでも外科をやっておりました。
『なぜある段階になるとこんなに副作用の強い抗癌剤を使うしか道がないのか。ごく一部の人にしか効かないのに。こんなものは全然近代的な医療とはいえないのではないか。』 これは外科医としてがん患者を診療していたときの疑問です。何とかできないかということを思いながら研究を続けてきて、今ゲノム研究の成果を融合させることにより、その問題を解決できる手立てがあると思っております。
抗がん剤の治療こそまさにレディメイドでありまして、がんがある程度進行しますと、もうほとんど選択肢がなく抗がん剤治療をすることになります。しかし抗がん剤は一部の人にしか効かないのです。『多くの人は副作用で苦しんだあげくに亡くなるだけだ、これではいけない』とずっと思いつづけ、この状況を打開すべく研究をしてきました。
『Aさん、Bさん、Cさんのがんは見た目は同じでありながら、薬の効き方は全然違う。なぜだろう』という疑問を持ちながら研究を続けてまいりました。
三年半前に母親を大腸癌で亡くしましたが、その前に抗がん剤で治療するかどうかという場面に自分自身が置かれ、この問題は非常に重い問題だと改めて思いました。
患者さん、あるいは患者さんの家族が知りたいのは、ある治療法を受けるときに本人に効くのか効かないのか、ゼロか100かということであって、「これまでの結果からは20%の方には効きますがどうしますか?」というような問いかけをしても、言われたほうは非常に辛い、重い選択をしなければならない状態になります。大半の場合は苦しむだけでがんが治るわけではないという状況で、ある治療法を選択するかと迫られたときの患者さん、あるいは患者さんの家族の苦悩というのは非常に大きいものだということを、改めて認識いたしました。
これは何とかできないか。自分、自分の親、あるいは自分の子供がこの治療法を受けたときに、ほぼ100%の確率で元気になるのか、あるいは副作用で苦しむだけで終わってしまうのかということを、可能なかぎり高い精度で患者さんに提供できないかということで次にお話しするようなチャレンジをしました。
ある薬の例をもとに紹介します。これは昨年日本で認可されたイレッサという薬です。この薬は、このレントゲンで示すように効く人には驚くほどよく効きます。ご覧になって明らかなように左側の写真の左側(右の肺)は真っ白です。これはがん細胞に加えて痰も一杯たまっているからで、この患者さんは痰を1日に500ccも600ccも排出していました。ところが、わずか14錠薬を飲んだあと2週間後には右側の写真のようにきれいになりました。右の肺のがんの塊は見事に消えています。しかしながら、この薬は実際には3割ぐらいの患者さんにしか効きませんし、非常に高価です。それから新聞各紙が書き立てたように、非常に強い副作用があるという問題点があります。
私たちは薬の効く効かないをなんとか遺伝子のレベルで解決したいということで、今は色を使って遺伝子の働きを見ております。
ここに小さな点が、黒いのも含めて384個あります。点の一つ一つが遺伝子というものです。タンパク質を作る単位です。この方法では色によって、この遺伝子がタンパク質をたくさん作っているか、あまり作っていないかを知ることができます。
二人の大腸がん患者、二人の脳腫瘍患者のパターンを比べてみますと、大腸がんと脳腫瘍では全然違いますが、大腸がん同士、脳腫瘍同士はぱっと目には非常によく似ています。では、大腸がんのパターンはみな同じかというとそうではなくて、大腸がんの二人のパターンをよくよく見ると、ある程度の違いがあります。右下の枠で囲ったパターンは、二人のパターンが同じだった色を全部黒く消したもので、2人の違っている部分が残っています。 左のCol5で示した患者さんAでは赤い点が右のCol8で示した患者さんBでは黄色になっているというように微妙に色が違う。すなわち、遺伝子の働きがAさんの大腸がんとBさんにの大腸がんとは微妙に違うということがわかります。
この遺伝子の働きの違いが、薬の効く、効かない、あるいは放射線治療をしたときの効く、効かないに関係しているのではないかということで、患者さんに協力を得て調べました。その結果、Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんのうち効いた人は特定の点(遺伝子)が赤か黄色、効かなかった人は同じ点が緑ということがわかりました。また違う遺伝子の働きを見ると、効いた人は緑か黄色だったのに効かなかった人は赤でした。このことから、明らかにこれらの遺伝子の働き具合と薬が効いた効かなかったという結果に関係がありそうだとわかりました。
範囲を拡大して、私たちの体が持っている遺伝子の80%、約28,000種類を調べると、12種類、こういうように典型的な違いを示す遺伝子が見つかりました。これらの遺伝子の情報を元にAさんのがん、Bさんのがん、Cさんのがんとそれぞれのがんを点数化しますとこの図のように、効いた人は非常に高いプラスの点数、効かなかった人はマイナスの点数を示し、効く効かないをわずか12種類の遺伝子の働きで判別できるという答えを得ました。
このようなシステムの有効性を別の4人の患者さんに協力していただいてテストしたところ、やはりプラスであった方には効き、マイナスであった3人の方には効かないという予測どおりの結果を得ました。 現在さらに多くの患者さんの協力を得て本当にこれが診断法として使えるかどうかを試しているところです。これがうまく使えれば、今までのように、当るも八卦当らぬも八卦、ではなくて、治療する前にこの人には効きそうか効きそうでないかを非常に精度よく判定できるようなシステムを作れると考えております。
たとえば、先ほどのイレッサのように、1000人のうち300人に有効である一方、10人には強い、生命にかかわるような副作用が出る、しかしながら他に薬がない、という場合があったとします。この薬を使い続ければ絶対に副作用で亡くなる人が増えるのは避けられません。かといって薬をなくしてしまうと他に薬がない人から薬を奪ってしまうことになります。ですから私たちは、非常によく効くけれども副作用が出るという薬に関しては、効く人を見極める、あるいは副作用を予測するという形でうまく使い分けることによって、患者さんによりよい医療を提供できる基盤が必要だと考えていますし、このプロジェクトではまさに今その基盤を作ろうとしているのだということをご理解ください。
プロジェクトの内容は、一つは社会に理解を得るということが大事で、そのためにホームページを作ったり、このような場を設けてできるだけ広くの方に知っていただく努力を続けております。社会の理解を得ながら30万人の患者さんに協力していただいて、臨床情報とDNAあるいは血清試料を収集するという計画でプロジェクトを進めております。
当然ながらその過程で個人情報を厳正に管理するということは非常に重要でありまして、これからその中身を紹介いたします。
このプロジェクトは非常に多くの方に協力していただく必要がありますので、患者さんに説明する専任のメディカル・コーディネーターを養成しています。これまで5回の講習会を開催しています。1回の講習会は2日間から、長い場合4日間のコースで私たちが何を目指しているかを理解していただくとともに、患者さんに協力を得る際の重要な点を強調して教えております。
患者さんに協力を求める際には、患者さんの自由意志に任せ、決して強制しないようにということを繰り返し申し上げておりますし、患者さんに何か不安があって嫌な場合、協力したくない場合は、断っても絶対に不利益を受けないということをにこやかにお話しくださいということも、何回も繰り返してメディカル・コーディネーターの方にお伝えしています。もう一つは個人情報の管理を厳重にするという観点から、解析結果がわかっても直接個人には遺伝子の解析結果はお知らせしません、それを了解の上で一方的にドネイションしてください、次の世代のために貢献してくださいという説明をかならずして同意を得ることも重要点です。一旦同意したあとでも途中で不安になったり嫌になった場合には同意を撤回することは患者さんの自由なので、快く受け容れてくださいということもお願いしております。
これが実際の講習会の場面でありまして、左上は臨床情報などを入力するコンピュータシステムの実習場面です。右下は患者さんにインフォームド・コンセントをどういうふうに取るかということを教育するロールプレイで、これを何時間もかけて、患者さんの役をしたり、説明する役をしたり、オブザーバーになったりしながら、模擬練習を通してここはこうしたほうがいい、というような教育をしております。メディカル・コーディネーターは看護師さんであったり薬剤師さんであったり、すでに医学の知識を持っておられる方がほとんどです。
実際のプロジェクト業務では、メディカル・コーディネーターの方に30分ぐらいかけて患者さんに説明していただき、協力するという意志を表明していただいた方から、血液を採ります。その血液は個人情報がわからないように匿名化し、どこの誰のものかわからないようにした上で病院の外に出て行き、血清、あるいはDNAとしてバイオバンクジャパンに集められます。ここで保管され、研究機関に提供されることになります。
当然ながら、いい薬やいい診断法を開発するには企業の協力は不可欠ですので、企業から妥当な申し入れがあれば厳格に匿名化した上で試料を提供するということを考えております。
個人情報保護に対する注意点をいくつか紹介しますと、コンピュータに入力する際に指紋照合を行なっております。このICカードには、コンピュータを使われる方個人個人の指紋情報を入れておきます。 各人がコンピュータを使いたいというときは指紋認証装置に指を置き、その指紋とカードの中の指紋が一致した場合だけにコンピュータが開けるという仕組みになっています。このため、誰かが勝手にコンピュータをのぞいて情報を盗っていくということは絶対にできないようになっております。
万が一コンピュータが盗まれて、どこか外でプロがデータを取ろうとしても指紋がマッチしないまま無理にアクセスしようとするとコンピュータの記録全部が破壊されるようになっており、徹底して個人情報の保護に努めております。
もう一点は、個人識別情報という、どこどこの誰々という情報を、病院から外には一切出さない形にしております。各病院で患者さんの病気に関する情報をデータベース化していただき、この中から個人識別情報、どこどこの誰々という情報を切り離した形で匿名化暗号と臨床情報だけがデータベース化されます。先ほど言いましたように、血液は匿名化された上で病院から出されてわれわれのところに保管されますが、研究機関に出されるときにはもう一度乱数化して暗号を組替えることによって、絶対にどこどこの誰々という個人を特定する情報と遺伝子の情報がつながらないような仕組みにしております。
これらのデータベース、たとえば医療機関でのデータベース、それをまとめた統合臨床データーベース、研究機関の情報、それから私たちに集められる情報がありますが、これらはコンピュータの線でつながっていない(専門的にはスタンド・アローンといいます)ので、どこかをハッキングすれば全部情報がつながって、どこそこの誰々さんという個人を特定する情報と遺伝子の情報、解析結果がつながるようなことは起こりません。
したがいまして組織的な犯罪でもない限り、個人の細かい遺伝子情報はつながらないような形になっております。匿名化を行いさらに乱数化するという二重の暗号化を行っていますし、個人のどこどこの誰々という情報と個人の遺伝子解析情報が絶対に同居しないコンピュータシステムの仕組みになっております。コンピュータシステムは、線でつなごうとしてもつなげないようにしていますので、CD-ROMなどのような形で情報が輸送されます。公表されるのは個人の遺伝子情報ではなくて、薬の副作用が出やすい人はこういうタイプですよ、この病気になりやすいのはこういうタイプです、という集団の情報しか外に出しませんので、個人の情報が外に漏れるということは、先ほど言いましたように組織的犯罪を除いてあり得ません。
これが現在のプロジェクトの協力機関でありまして、医療機関としては岩手医科大学、大阪府立成人病センター、癌研究会、順天堂大学、東京都老人医療センター、徳洲会、日本医科大学、日本大学の8医療機関39病院に協力していただきまして、患者さんのサンプルを集めております。プロジェクトの意思決定機関である推進委員会があり、プロジェクトをいろんな観点で監視する、ELSI(倫理的法的社会的問題)ワーキンググループという組織も設置して、われわれの行動、たとえばインフォームドコンセントをきちんと行っているかなどを監視する体制になっております。
これが現在のプロジェクトの進捗状況です。6月から10月にかけてさみだれ的にそれぞれの医療機関での採血をスタートしました。10月31日の集計で、お願いした方が17,000人強、協力すると言っていただいた方が15,000人強ということで、お願いした患者さんのうち88%の方に協力を申し出ていただいております。
同意撤回者が18名出ておりますが、これは、自分は納得したけれども家に帰って子供さんなどに、「大丈夫?」と言われて不安になって辞められた方、あるいはテレビの影響でやはり怖いというような方がおられまして、大体1,000人に1人強の方があとで同意を撤回しておられます。
最後に、私の遺伝子に対する考え方、遺伝子の多様性と差別に関する考え方についてお話させていただきます。私の今までの話というのはすべて光の部分で、病気の原因が解明されれば有効な薬ができる、薬をうまく使える、予防もできるかもしれない、ということを述べてまいりましたが、影の部分もあるということはずっと私の書いたものの中でも説明しております。社会保険、あるいは生命保険などに入る場合に不利益がある可能性がありますし、結婚などの際の社会差別が生まれる可能性もあるということは否定いたしません。
ただ、遺伝子と言いましても今研究の対象はいろいろな遺伝子があり、遺伝子の異常があると非常に高いリスクで病気になる遺伝病のような場合と、生活習慣病のように危険率が何倍かに増えるけれども食習慣や生活環境を変えることなどで発症リスクを下げることができる可能性をもっている場合があります。中身は非常に千差万別で一概には申せませんけれども、それは受け止め側の考え方一つでありまして、悪用しようと思えばいろんな社会差別が生まれる可能性があります。
私自身は光を最大限にして、影を最小限にする努力をすべきだと思っております。その一つは法律であり、一つは教育であると考えています。当然ながら、遺伝子の情報を悪用しないように罰則規定を設ける、あるいは保険に加入する際に差別を防ぐという法整備が必要であるということを何年も前から主張しております。
アメリカでは先月、遺伝子差別を禁止する法律が上院で圧倒的多数で可決されております。日本ではこういう取り組みが非常に遅れておりますけれども、やはり遺伝子研究を安全に進めるため、また安心して遺伝子研究に協力していただくためにも、法律の整備は不可欠であると思っております。
もう一点は教育の問題であります。遺伝子に限らず、さまざまな差別が社会には存在いたします。遺伝子差別という言葉にはまるで遺伝子が差別を生んでいるかのような響きがありますが、遺伝子が差別を生むのではなくて、差別を生んでいるのは人の心であるということに目を向ける必要があると思っています。
差別を防ぐために何をするのか。遺伝子が危険だ危険だと騒いでも、遺伝子の研究はわれわれだけが行っているのではなくて、世界各国で推進されているわけですから、何か結果が出ればリアルタイムで情報は入ってまいります。したがってわれわれが何かをしなくても、海外からの情報によって遺伝子差別が生まれる可能性はあるわけです。それに対してわれわれがどう取り組んでいくかというのが非常に大事でありまして、そのために必須なのが、一つは法律、一つは教育であります。
「世界に一つだけの花」 というのは今年SMAPが歌って流行った歌であります。娘が聴いているのを何気なく聴いていて、こういう気持ちこそ大事なのだと、遺伝子に限らずいろんな差別を防ぐために、一人一人みんな違うのだということを認め合うということが大事だと思いました。歌の中で、それぞれの人がみんな自分だけの種を持っていて自分だけの花を咲かせることが出来る、と言っていますが実にその通りであることを遺伝子は科学的に証明しています。みんな違うのだということからスタートしない限り差別はなくならないと私は思います。誰もがオンリーワンであって、それぞれの人がそれぞれ尊重されるような社会を作っていかない限り、差別というものはなくならないでしょう。現に遺伝子はみんなが違っているということを証明しているわけですから、これをひとつの教材とし、みんな同じだから平等なのではなく、みんな一人一人違っているということを基本としてお互いを尊重できる社会に変えていくことが重要であると思います。
それからもう一点、マスメディアでは、患者と医師、あるいは患者と研究者が対立しているという構図が好んで掲げられます。私はこういう対立構図を作っても結局苦しむのはベッドの上で苦しんでいる方であり、副作用で泣いている方々であると思います。病気を解決し、副作用を防ぐためには、患者さんと医療従事者、研究者が連合軍を組んで協力していかない限り、ゴールにたどり着くことはできません。このような対立の構図で非常に不幸を広げた例を一つご紹介します。先ほどのイレッサの問題で、メディアはこれが効くということは過小報道し、副作用が出るということを過大に報道しました。その結果、薬をのむのが怖いので避けたり、あるいはのんでいたけれど怖いから止めた、という患者さんがたくさんおられます。
この図に示すようにイレッサの有効率と副作用のおこる率から考えると、私は薬の副作用で亡くなった方より、報道があまりに偏重したために薬を使えず亡くなった患者さん、あるいは命を短くした患者さんのほうが多いと思っております。
ものごとには必ず光と影の部分があります。われわれは光を大きくしていく努力が必要で、そのためには事実を正確に比較してお互い批判し合いながら物事を進めていくということが非常に重要であると思います。 誤った見方のために患者さんの命を短くするという、間違ったことが行われてはならないという一例として問題提起したいと思います。
私たちは、やはり患者さんと協力しながら物事を進めていく必要があります。私たちが今願っているのは、同じ病気で苦しんでいる方、あるいは同じ病気にかかるかもしれないわれわれの子孫のために、われわれがなし得る最大限のことをしたいという事です。これは患者さんと私たちが対立するのではなくて、私たちが協力し合うことによって初めてできることであります。みなさんに私たちが目指していることを理解していただき、私たちも批判は批判として受け止めながら改善して、次世代のためにこのプロジェクトを生かしていくことが、現在生きている私たちの責務だと思っています。プロジェクトの主旨を理解していただきご協力賜りたいことを最後にお願いし、私の話を終わりたいと思います。
どうもご静聴ありがとうございました。
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