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シンポジストプロフィール(2004年3月現在、敬称略)
絵門ゆう子
エッセイスト・『がんと一緒にゆっくりと』著者

シンポジウム要旨
私の母は、今から十年前、子宮体がん、卵巣がんを初期の段階で発見され、手術、抗がん剤の治療を受け、その後肺の裏、首のリンパに転移させ、5年の間に3回入退院を経験し、亡くなりました。私は、「がんになって手術をして悪いところをとっても再発するし、抗がん剤はがん細胞を抑えるより前に良い細胞をダメにするだけのもの」だと思いこみました。亡くなる半年前、「西洋医学的治療は、体に対して攻撃的なことをするだけで、結局ダメにする」と思い始めた私は、母に3度目の手術、抗がん剤の治療を拒否するよう勧めました。そしてそのようにし代替医療を選択した結果、母は奇跡的に元気になっていく日々を過ごすことができました。その後、「元気が出る注射」と言われ拒否していた抗がん剤を打たれた日からまた急激に症状が悪化して亡くなったため、私は、「健康食品、健康法、そして東洋医学のように免疫力を高める方向の治療に専念していればがんは治るはずだ」と思いこみました。この二つの思い込みが、私自身が乳がんになったことを知って以降1年2ヶ月、一切の西洋医学的治療を行わず、そのほかのありとあらゆる療法を試していく道を選んだベースとなったのです。

西洋医学の治療、つまり「手術も抗がん剤もない、主治医さえ持たない、病院には行かない」と決めようとしていた私に、私が母のことで経験したトラウマについてよく知っていた知人の医師が、「あなたのがんとお母さんのがんは違う。乳がんについては抗がん剤も良く効いている。自分の妻ががんになった場合、乳がんであれば手術をさせるんだ。治療を受けなさい」と、切々と言ってくださったことを覚えています。「あなたのがんとお母さんのがんは違う」という言葉が私の胸の奥に強く残りましたが、私はそれを無視して、自己免疫力を詠うあらゆる療法にのみ向かっていったのです。そして、全身転移。聖路加国際病院で胸水を抜く治療、骨転移して折れた首の骨に放射線を当てる治療などを受け、究極の症状を助けられ、ホルモンの薬でがんを押さえ込み、その後1年前から抗がん剤(タキソール)の通院点滴治療を受け、今QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を満たしがんと共に元気に楽しく生きています。抗がん剤は、私には効きました。抗がん剤は私には副作用をほとんどもたらしていません。それは薬の進歩もあるでしょう。でも、母と私が違うということもあったのです。母には西洋医学的治療より民間療法が一時的にでも好い結果をもたらしたかもしれません。でも私はそれを徹底的に追求して死にかけました。親子でも、できるがんも、合う治療法も全く違う、つまり、私がつくってきた思い込みは、母の体験を通してできた思い込みで私には当てはまらないものだったのです。

同じ乳がんでも百人百様の顔つき、治し方があるのです。ということは、がん患者とひとくくりにされてマニュアル化された治療や療法のルートに乗ることは、ひたすら間違いを生み続けることにつながることは明確です。玄米菜食でがんが良くなった人が、後からがんになった人たちに、「玄米をきちんと食べさえすれば治せる」と言い切ってしまうこと。手術のリスクを重視する患者、抗がん剤の副作用を恐れるがん患者に冷たい対応をする医療関係者、どちらもあってはいけないのだと私は思います。

遺伝子(ゲノム)は本当に一人ずつ違い、ゲノムの性質に合った治療や療法を選んでいけば、その人数分の種類があるのだ、という考え方が基本になれば、私たちがん患者は、自分で責任を持ち覚悟を決められる治療を選択し、死ぬまで良い生き方ができるようになるはずだと確信します。私はゲノムの情報を私たち患者が自分の治療の選択に生かせるようになった時、医療関係者、民間療法、健康食品など、命をサポートする仕事をしている全ての方たちの姿勢も、患者が「自分の方法で生きる道を追求しよう」とする自主性を尊重し促すものに変わり、また患者も委ねる姿勢から脱するようになるはずだと期待しています。
 
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