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多くの患者さんを助けることのできるゲノム解析
バイオバンクに関わる研究者に聞く―田中敏博さん

理化学研究所遺伝子多型研究センター・心筋梗塞関連遺伝子研究チームリーダーの田中敏博さんに、循環器疾患に対する遺伝暗号を用いた研究の状況について聞きました。バイオバンクに集められたDNAの解析は理化学研究所が担当していますが、疾患について詳しい専門医のいる外部機関と協力して研究が進められています。田中さんは、バイオバンクにおける循環器疾患研究の窓口となっています。
―なぜ心筋梗塞の研究をしていらっしゃるのですか?
もともと循環器の医者をやっていたからです。93年に、研修医を終えて大学病院へ戻ってきたころ、上司から「中村祐輔先生のところで不整脈のゲノム研究をしてみたらどうか」と言われました。その当時はゲノムに対する知識はほぼなかったのですが、仮説不要のゲノム研究が肌に合ったんでしょうか、中村研にいついてしまいました(笑)。
―心筋梗塞とはどういう病気ですか?
心臓は全身に血液を送るポンプの役割をしています。心臓に栄養を送る血管を「冠動脈」と呼びますが、これが何らかの原因で詰まると、心臓の組織に栄養が行かないので、組織が死んでしまいます。これが心筋梗塞です。血管がネットワーク状にはりめぐらされている他の臓器と異なり、心臓や脳は、栄養を送る血管が一箇所でも詰まってしまうと、そこから先の組織が死んでしまいます。血管の末端が詰まれば、死んでしまう心臓の組織は少なくてすみますが、根元が詰まると大きな範囲がえ死にいたり、心臓が正しく動かなくなってしまいます。心筋梗塞は、生命に危険をもたらす病気のひとつといえます。
心筋梗塞は、生活習慣病だと言われていますが、生活習慣のみでなく、遺伝的な要因もあるということがわかっています。つまり、家族に心筋梗塞の患者がいる場合に、心筋梗塞になるリスクが高まるということです。そこで、遺伝的な背景をさぐるために、研究を始めました。
―これまでどのように研究をされてきたのですか?
まず、患者さんの試料ができるだけたくさん必要になります。環境要因の影響をできるだけ除きたいからです。マウスならば、同じ環境で生活する個体を集めることができますが、人間では無理ですよね。試料をたくさん集めて解析することで、環境の影響を少なくすることができます。
提供された試料を解析して、遺伝暗号の違いを比較します。心筋梗塞になった人と、なっていない人を集めてきて、SNP(遺伝暗号1文字の違い)をできるだけたくさん調べるのです。SNPというのは、たとえば「GかAか」というように、2種類の文字のいずれか、という場合がほとんどなので、患者さんがどちらの文字を持っているのかを調べるわけです。遺伝暗号が書かれたDNAは、父親と母親から一本ずつもらっているので、ひとつのSNPの解析結果は、3パターンのいずれかになります(上記の例ならば、GとGを持つか、GとAを持つか、AとAを持つか)。これを、10万ヶ所のSNPについて調べました。まず、94人分解析しました。94×10万ヶ所、ということですね。
そして、心筋梗塞ではない人たちについても同じように調べました。解析結果のパターンの分布の度合いに差があるかどうか、患者さんのデータと比較したわけです。
―研究の結果、どのようなことがわかってきたのですか?
今までに、当チームでは5つのSNPが心筋梗塞に関わるということがわかりました。そのうち3つは「炎症」に関わるということがわかったのです。心筋梗塞と炎症って、ちょっとつながりにくいですよね。それが発見だったのです。そして遺伝暗号の違いが、炎症の度合いに関わってくるということも、私たちは実験で明らかにしました。
ただし、実際に心筋梗塞が起こる原因は他にもあるはずなので、炎症の度合いと、心筋梗塞の症状の重篤度を1対1で結びつけることは、なかなか難しいですね。たくさんの種類の遺伝的な要因に、これまたたくさんの種類の環境的な要因が重なって……というように、心筋梗塞への階段をひとつひとつ上がっていくイメージでしょうか。ちょっとこわいですかね。
―薬や予防的な対策など、臨床への応用はいつごろでしょうか?
今までやってきたのは、患者さんと、そうでない人を比べるという研究でした。統計的には差があると言ってもよいのですが、これだけではまだ科学的に明白とは言えません。ある遺伝的な要因を持っていたら必ず病気になる、持ってないから絶対ならない、とは言えないのです。遺伝的な要因を持っていても病気にならない、持っていなくても病気になる、という人がいるのです。
そこで、別の集団の試料について同じように解析をしたり、異なる解析手法で研究を行なう必要があります。たとえば、ある地域の住民の方全員の試料をいただいて、経過観察をして比較する手法などです。バイオバンクにいただいた試料をそのような検証に使わせていただくこともあります。それでも同じ結果だという確証を得て、はじめて臨床の現場に持っていくことができるのです。臨床への応用までどれくらいかかるかはわかりませんが、楽観的には数年でできればと思っています。
―患者さんの顔を見なくても、研究の意欲は変わりませんか?
目の前に患者さんがいるときは、もちろん、その一人の患者さんを中心に考えます。研究をしているときは、将来、多数の患者さんを一度に助けたい、というイメージですね。実は、週に一度、家庭医的なレベルですが、診療を行っています。研究をやりながらも、患者さんのことは忘れたくない、単なる趣味の研究はしたくない、と思っています。